プラトンとアリストテレスは不仲?

◇後世の伝承

プラトンはわが友,されど真理はさらによき友

amicus Plato, sed magis amica veritas

セルバンテス,牛島信明訳,『ドン・キホーテ』後篇(三),岩波文庫

◇上の根拠かもしれない本人の記述

おそらく,普遍としての善を検討して ,その議論の仕方における難点を突き詰める方がよりよいであろう。もっとも,「イデア」を導入したのが他でもない親しい人々であるために,こうした探究の足取りは重いものとならざるをえない。だがおそらく真理を保つためには,仲間の考えであろうともそれをしりぞけた方がよく,またそうすべきである──とりわけ,知(ソフィア)を愛する(フィロ)者であるならば。なぜなら仲間の者も真理もともに愛すべきものであるが,真理をまず尊重することが敬虔なことだからである。

アリストテレス,神崎繁訳,『ニコマコス倫理学』第1巻第6章,新版 アリストテレス全集15,岩波書店

◇後世の伝記──プラトンの発言

彼(アリストテレス)は、プラトンがまだ存命中に、その許を去った。そこで、プラトンは次のように言ったとのことである。「アリストテレスは、わたしを蹴飛ばして行ってしまった。まるで仔馬が生みの母親をそうするかのように。」

ディオゲネス・ラエルティオス, 加来 彰俊 訳,『ギリシア哲学者列伝』(中)第5巻第1章,岩波文庫

 

◇後世の伝説──アリストテレス,プラトンと袂を分かつこと

アリストテレスがプラトンと袂を分かったのは,もとはといえば次のようなことが原因であったと言われている。プラトンにはアリストテレスの生活態度も身につける服飾も気に入らなかった。それは,アリストテレスが着物にも履物にも凝りすぎて,髪もまたプラトンの好みに合わぬ刈り方だったし,指輪をいくつもはめてそれを自慢にしていたからであった。また,アリストテレスの顔つきには人を小馬鹿にしたようなところがあったし,時を選ばぬ饒舌は彼の性格を裏書きしており,万事につけて哲学者らしからぬことは明らかだったからである。プラトンはこういったことを見てアリストテレスを疎んじ,彼よりもむしろ,クセノクラテス,スペウシッポス,アミュクラスその他の人々を大事にして,議論を共にするなど何かと目をかけたのであった。

ある時,クセノクラテスが帰省して不在のすきに,アリストテレスは自分の仲間の一団を引き連れて,プラトンに攻撃をかけた。この時,スペウシッポスは病気でプラトンに同行することができなかったが,プラトンは八○歳になっており,高齢のために記憶力も衰えていた。そこでアリストテレスは卑怯な謀をめぐらしてプラトンに攻撃をかけたのであったが,敵愾心をむき出しにして,いうなれば詰問調の質問を次々に浴びせかけ,それは明らかに義に悖(もと)り師恩を忘れた行動であった。こうしてプラトンは戸外での散策をやめて,自宅で弟子たちと歩きまわることになったのである。

(アイリアノス,松平千秋・中務哲郎訳,『ギリシア奇談集』,岩波文庫)

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