西田幾多郎と仏教

私は先生がかって、「すべての書物が失われても、臨済録と歎異抄が残れば我慢できる」と語られたことを想起した。 高坂正顕『西田幾多郎先生の追憶: 西田幾多郎没後50周年記念』,国立書院,1948(燈影舎,1996)

元始女性は太陽であつた

元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。 今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く病人のやうな蒼白い顔の月である。 私共は隠されて仕舞つた我が太陽を今や取戻さねばならぬ。 「隠れたる我が太陽を、潜め […]

自己本位

 私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまって […]

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか…… おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった 近代科学の実証と […]

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