ある患者と講義の中で面接したことがあった。
その患者(女性)は、人生のはかなさについて不安を訴えていた。「遅かれ早かれ人生は終わり、そして後には何も残らない」と彼女は言った。人生がはかないものであるからといって、人生の意味がそこなわれることは絶対にないということを、私は彼女に納得してもらえなかった。
そこで私は彼女に、さらに次のように質問した。「あなたが本当に尊敬できるような、そんな業績を成し遂げた人に、今までに出会ったことはありますか?」と。
「はい、もちろんです」と彼女は答えた。「わが家のホームドクターはすばらしい人でした。彼が患者のためにどのように手を尽くしたか、どれほど患者たちのために生きたか……」。
「そのお医者さんは亡くなったのですか?」と私は尋ねた。「はい」と彼女は答えた。
「彼の生涯はおおいに意味のあるものだったのではないですか?」と私は尋ねた。
「もし誰かの人生に意味があるとしたら、彼の人生には意味があったと思います」と彼女は言った。
「でもこの意味は、彼の生涯が終わると同時になくなってしまったのではないですか?」と私は彼女に聞いた。
「いいえ。決して」と彼女は答えた。
「彼の人生が意味にあふれるものだったという事実を変えることはできません」。
しかし、私は続けて彼女に挑んだ。「もし患者が誰もホームドクターの尽力に感謝しなかったらどうでしょう?」
「あの先生の人生の意味は残ります」と彼女は口ごもった。
「患者の誰一人として、それを覚えていなかったらどうでしょう?」
「それでも先生の人生の意味は残ります」。
「いつか彼の患者だった人がすべて死んでしまったらどうでしょうか?」
「それでも、残ります」。
フランクル 諸富・松岡・上嶋訳,『「生きる意味」を求めて』,春秋社