ホモ・ルーデンス

遊びというものが現にあるということが、宇宙のなかでわれわれ人間が占めている地位の超論理的な性格を、絶えず幾度となく証明する理由になっているのであり,しかもこの場合,それが最高の意味での証明でさえある。動物は遊ぶことができる。だからこそ動物は、もはや単なるメカニズム以上の存在である。われわれは遊びもするし、それと同時に、自分が遊んでいることも知っている。だからこそわれわれは、単なる理性的存在以上のものである。なぜなら、結局、遊びが非理性的なものだからである

 人類が共同生活を始めるようになったとき、その偉大な原型的行動には、すべて最初から遊びが織り交ぜられていたのである。言語をとってみよう。(中略)このように言語を創り出す精神は、素材的なものから形而上的なものへと限りなく移行を繰り返しつづけているが、この行為はいつも遊びながら行われるのである。どんな抽象の表現でも、その後に立っているのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠れているからだ。

ホイジンガ,高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』,中央公論社,1973

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