『万葉集』巻五815-
(白文)
梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖。夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
(訓読)
天平二年正月十三日、帥老の宅に萃(あつ)まり、宴會を申ぶ。
時に、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。加以(しかのみならず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾く。夕の岫(くき)に霧結び、鳥、穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷(まど)ふ。庭には新蝶(しんちょう)は舞ひ、空には歸る故鴈。ここにおいて、天を盖(きぬがさ)にし、地を坐にし、膝を促(ちかず)け觴(さかずき)を飛ばす。言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放(ほしきまま)にし、快然として自ら足る。若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以ちてか情をのべむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古今それ何ぞ異ならむ。宜しく園梅を賦(ふ)して、聊(いささ)か短詠を成すべし。