「大嘗祭」の意味と意義

 古い時代のまつりごとは、穀物をよく稔らせる事で、その報告祭がまつりである事は、前にも述べた。この意味において、天子様が人を諸国に遣して、穀物がよく出来るようにせしむるのが、食国の政(まつりごと)である。
 ところが穀物は、一年に一度稔るのである。その報告をするのは、自ら一年の終りである。すなわち、祭りを行う事が、一年の終りを意味する事になる。この報告祭が、一番大切な行事である。この信仰の行事を、大嘗祭(オホムベマツリ)と言うのである。
 ここで考える事は、大嘗と、新嘗との区別である。新嘗といふのは、毎年、新穀が収穫されてから行われるのを言い、大嘗とは、天子様御一代に、一度行われるのを言うのである。

(中略)

 天皇魂は、唯一つである。この魂を持って居られる御方の事を、「日の神子(ミコ)」という。そして、この「日の神子」となるべき御方の事を、「日つぎのみこ」という。「日つぎの皇子」とは、皇太子と限定された方を申し上げる語ではない。天子様御一代には、日つぎのみこ様は、幾人もお在りなされる。そして、皇太子様の事をば、「みこのみこと」と申し上げたのである。
 天子様が崩御なされて、次の天子様がお立ちになる間に、「おほみものおもひ(大喪)」というのがある。この時期は、日本においては、「日つぎのみこ」の中のお一方が、「日の御子(天子様)」となるための資格を完成する時、と見る事が出来る。
 祝詞や、古い文章を見ると、「天のみかげ・日のみかげ」などということばがある。このことばは普通には、天子様のお家の屋根の意味だ、と云われて居るが、宮殿の奥深い所という事である。そこに、天子様はおいでになるのである。
 これは、天日に身体を当てると、魂が駄目になる、という信仰である。天子様となるための資格を完成するには、外の日に身体をさらしてはならない。先帝が崩御なされて、次帝が天子としての資格を得るためには、このれ物忌みをせねばならぬ。
 この物忌みの期間を斥して、喪というのである。喪と書くのは、支那風を模倣しての事で、日本のは「裳」或は「襲」であろうと思う。
 大嘗祭の時の、悠紀・主基両殿の中には、ちゃんと御寝所が設けられてあって、蓐・衾がある。褥を置いて、掛け布団や、枕も備えられてある。これは、「日の皇子」となられる御方が、資格完成のために、この御寝所に引き籠って、深い御物忌みをなされる場所である。実に、重大なる鎮魂(ミタマフリ)の行事である。

折口信夫「大嘗祭の本義」( 『折口信夫全集 3』中央公論社 ただし,現代仮名遣いに改め,適宜改行,記号を加えた)  より

Proudly powered by WordPress   Premium Style Theme by www.gopiplus.com